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見立寺

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七福神めぐり 第6番布袋尊
布袋尊は、中国唐代の禅僧で名は契此。小柄で太鼓腹、大きな袋を担って各地を放浪し、吉凶を占い、福を施して倦むことがなかったといいます。また、未来仏たる弥勒菩薩の化身ともいわれ、昔から崇められてきました。
入口を見ると山門は無くゆるやかな坂になっています。 坂の途中には大きな杉の木、上った左手には、「誰もが平等に救われる 仏の教えを見つけたい」その一歩を踏み出す「旅立ちの法然さま」像が、そして右手に本堂があります。

目につくのは、本堂から伸びる5本のカラフルな紐、「御手綱」(みてづな)と言いますが、これはご本尊 阿弥陀如来像の手元から導かれているもので、この紐の先を手に取ることによって、阿弥陀様と直接手を握った事と同じご利益がある。というものです。紐の先を手にとって、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と唱えましょう。 今回特別に阿弥陀様を拝見させて頂きました。*普段は見ることが出来ませんので注意。 阿弥陀様の手には、しっかり「御手綱」がありました。本当に繋がっていたんですね。

そして本堂手前右横に「徳本上人 名号碑(とくほんしょうにん みょうごうひ)」があり、更に右横に ついついお腹を撫でたくなってしまう布袋尊の石像があります。また後ろの社には木彫りの布袋尊が祀られています。 お腹が大きくなりすぎたのか、お腹部分が立てに割れてしまってます(かわいそう...)写真では大きく写っていますが、実際は小さくて可愛いんですよ。是非見に行ってあげて下さい。


境内左手に行くと「六地蔵」があり、その隣には「赤穂浪士 矢頭右衛門七妹の墓」があります。



参考:【旅立ちの法然さま(十三才当寺のお姿)】
美作国(みまさかのくに)(岡山県)で武家に生まれた浄土宗の宗祖法然上人は、九歳の時父を夜襲で失いました。その時の遺言は「汝(なんじ)、決して敵(かたき)を討つ事なかれ、出家して悟りの道に進むべし。」というものでした。そして四年間岡山で仏教の基礎を学び、その後本格的に仏道を進んで行く為、京都の比叡山へ旅立つことになったのです。
「誰もが平等に救われる 仏の教えを見つけたい」その一歩を踏み出す、その時のお姿です。
境内立て札解説より
参考:【徳本上人 名号碑(念仏教化の祈念碑)】
この名号碑は、徳本上人が亡くなる一年前に、川越へ布教に来たときに造られた祈念碑である。独特の丸い文字は「徳本文字」として名高い。名前の「徳本」の下にある落款(らっかん)は「鬼くだく 心を丸く 田の中に 南無阿弥陀仏と 月のおもかげ」という意味が含まれているという。
徳本:(宝暦八年〜文政一年 1758〜1818)
江戸時代末期の浄土宗僧侶。和歌山県に生まれ、幼少より信心が篤(あつ)く、両親に出家を請うも許されず、二十六歳(1784)にようやく母の許しが下りて出家する。ひたすらに念仏を唱え、礼拝をし、膝が薬研(やげん)のごとく割れたとまでいわれている。念仏弘通の為に全国を廻り、説法をし、名号札を配って歩いた。それを求める人は、「まるで朝市が開かれている様だ」と、形容されるほど多くの人が列をなしたという。

見立寺
埼玉県川越市元町2-9-11
049-222-3321


七福神めぐり 第6番布袋尊 
布袋尊は、中国唐代の禅僧で名は契此。小柄で太鼓腹、大きな袋を担って各地を放浪し、吉凶を占い、福を施して倦むことがなかったといいます。また、未来仏たる弥勒菩薩の化身ともいわれ、昔から崇められてきました。



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