かわごえKOED Net 川越祭り瓦版(31号)改め「川越専科」秋だより 平成22年(2009)9月吉日

 川越祭(氷川祭の山車行事)は、10月14日に氷川神社が執行する例大祭(れいたいさい)(祭祀(さいし))を根源として直後に行われる神幸祭(じんこうさい)や山車行事(祭礼(さいれい))から成り立っている。

 「祭祀」は、産土神(うぶすながみ)の氷川大神(おおかみ)を迎えて行う神事祭典であり、神主を仲立ちとして氏子の人々は神に感謝し、祈願したりしてハレの時を過ごすことだという。

 「祭礼」は御神幸に続き、町衆が自主的に取り組む交流の営みで附祭(つけまつ)りともいわれている。発祥は京都の祇園祭(ぎおんまつり)で、その祭礼様式が全国へ広がっていった。川越では、慶安年間 に城主の松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)の意志により、江戸の天下祭(てんかまつり)を念頭においた都市祭礼として幕を明けている。

 慶安4年(一六五一)以来、360年の歴史を伝える神幸祭は、氷川の神様が神輿(みこし)に乗られて川越城下の町々を巡行することで、人々はそのご神徳を頂き、幸福と町の繁栄を祈請(きせい)する伝統儀式。本来は例大祭に続く10月15日に行われていた。今年は御神幸(ごじんこう)をお迎えする姿の整った17日(土)の午後1時に神社を出御(しゅつぎょ)する。

 華麗な行列は、志多町坂上 ⇒ 札の辻 ⇒ 蔵の町並みの一番街 ⇒ 仲町 ⇒ 松江町2丁目 ⇒ 大手町 ⇒ かつて西大手門があった市役所前へと歩を進め、午後2時30分頃に還御(かんぎょ)する予定。
もともとは各町内の山車や踊り屋台、底抜け屋台、仮装行列などの練りものが随行したもので、その祭礼様式が現在の山車行事へ発展したという。

 今年も一番街あたりで伝統を誇る山車が神幸祭をお迎えし、従いながらお供をするシーンは大きな見どころだ。

 文政9年の氷川祭礼絵巻を再現した神幸祭は、川越祭の真髄であり、今では幻となった江戸の天下祭の行列を偲ばせる。
国の重要無形民俗文化財に指定された決め手といわれているだけに、祭りファンでなくても見逃せないところだ。

 江戸時代における神幸祭の経路は広いものだった。記録によれば川越藩の意図から、現在の新富町、通町、連雀町など、ようやく町場になりつつあった地域までも巡っていたという。

 川越祭のルーツである氷川神社の神幸祭。かつてのような広い範囲での巡行復活が待たれている。

 10月16日(土)の午後5時30分、6時、6時30分の3回、氷川神社本殿をとりまく彫刻が特別公開される。

 入母屋造りの現本殿は天保3年(1842)に起工し8年後の嘉永3年に竣工した江戸後期の貴重な建造物。 川越藩お抱えの棟梁と江戸彫刻家元の嶋村源蔵、北武蔵の飯田岩次郎などの名工によって完成。 腰回りには、当時の神幸祭に供奉した山車人形が精巧に彫られていてみごとだ。

※事前に整理券が配布される。詳しくは直接お問い合せください。
049-224-0589(氷川神社・社務所)